イスラム教大国インドネシアの教会に行ってみた
イスラム教大国インドネシア。国民の8割以上がイスラム教徒です。
イスラム教では豚が神聖な動物であると考えられているため豚肉を食べることが禁止されています。また、禁欲生活を教えのひとつとしているので飲酒も禁止です。インドネシアでは豚肉料理を見つけることはなかなかできませんし、去年からジャカルタにおけるコンビニでの酒類の取り扱いが禁止されました。
日本人からしたら豚食べられないのはつらいです。。
きっかけは、カトリックの友達が「寮の近くの教会に行くけど来る?」と声をかけてくれたこと。僕の家は仏教です。普段日本で過ごしていて教会に行く機会なんてめったにありません。
好奇心モリモリで付いていくことにしました。
こんな感じの道を歩くこと10分。教会に到着です。
入り口にはこのような像があり、皆入る際に手を合わせていました。
教会に入るとまず感じたのはいい香り。甘く上品な香りがほんのり漂っています。
白を基調に造られた教会内の雰囲気にとてもよく合う香りです。
そして少し涼しく厳かな、でもラフな服装でおしゃべりを楽しんでいます。気軽に来れる集会所のようです。
教会の中は意外にも人で溢れかえっていました。皆キリスト教徒です。都心から少し離れた地域の教会にもこんなにもキリスト教徒がいるとは。この後ろにもまだ席があるため、ざっと1000人ほどいるはずです。
ほとんどの席が埋まったころ、後ろの扉から牧師さんや子供たちの一行が入場し、前の壇へと向かいます。讃美歌隊も前に現れ、式が始まりました。
聖書の読み上げや讃美歌の斉唱が繰り返されながら、式は進行していきます。
皆が立ち上がって胸の前で手を組み、それに合わせて僕も手を組みます。
全てインドネシア語なので何を言っているのかは理解できません。ただこの空間をとても清らかなもののように感じました。とてもリラックスできる空間であり、心が洗われるような体験。
ただ式は2時間も続くので隣の家族の子どもたちは退屈そうに動き回っています。
動きが激しくてブレまくります。楽しそう。
家族が気軽に子供連れで来れるのもいい点ですよね。
式の終わりには牧師さんのような人が一人ひとりに声をかけながら、丸くて薄いお菓子を渡してくれます。
これを受け取り口に含み、その場にひざまずき祈りを捧げます。
周りに合わせて僕もお祈りをしました。
式が終わると教会の隅にあるここへロウソクを奉納し再び祈りを捧げます。
コインを寄付してから蝋燭を手に取り、火をもらって燭台へ。とても神聖な時間です。
キリスト教徒の慎ましくも芯の強さが感じ取れるよな祈りの姿が印象的でした。
感じた事
軽い気持ちで教会に来ましたが、少なくとも自分にとって神様とはよくわからない存在でした。同じ感情を抱てる日本人は少なくないと思います。だから周りに合わせて立ったり座ったり跪いたりする中で、神様ってなんだろうをずっと考えていました。
頭によぎった結論は、神様は信仰者の最強の味方であるということ。
しんどい時、周りに支えてくれる人が誰もいなくても、神様だけは心の拠り所であり続ける。常にそばにいて、その言葉が力をくれる。だから一線を越えずに、踏ん張れる。そしてまた這い上がれる。こんなに心強いことってない。
一人になることがないとわかっているだけでそれは大きな力になる。
こう考えると、神を信じるという行為を少し身近に感じ、純粋に素敵だと思えるようになりました。
そして自国の日本に思いを巡らせると、日本人の自殺が世界的に見て多いのは、神や宗教といった概念が関係してくるのではないか。そんな考えが浮かびました。日本人は現実世界で頼る人がいなくなると一人ぼっちになってしまう。心が壊れやすくなる。
神や宗教への信仰を推奨するわけでは決してありませんが、世界にはそれを拠り所として生きるエネルギーにしている人たちがいることを知っていただけたらと思います。
22 Nov 2015
#jakarta #Indonesia #church #神とは